大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)530号 判決 1974年4月19日

原告

川上八重子

被告

西枇杷島町

ほか一名

主文

一  被告らは原告に対し、金五五二万八、〇三四円および、内金三四七万六、七三〇円に対する昭和四五年三月一二日から、

内金二〇五万一、三〇四円に対する昭和四八年六月二〇日から各支払ずみまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、金九九九万四、五〇八円および、内金三四七万六、七三〇円に対する昭和四五年三月一二日から、内金六五一万七、七七八円に対する昭和四八年六月二〇日から、各支払ずみまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (事故の発生)

原告は、昭和三八年九月一九日午後三時三〇分頃、愛知県西春日井郡西枇杷島町芳野町三丁目四四番地の一先路上において、被告下方英治の運転する第二種原動機付自転車(西枇杷島町〇一二九号)に衝突され転倒し、頭部、左下肢、臀部、左下腿挫傷の傷害を負つた。

2  (責任)

(一) 被告下方英治は、当時被告西枇杷島町の税務課に勤務していたものであり、右事故は、同被告が被告西枇杷島町の業務である税務調査のために西春日井郡新川町大字須ケ口休念一七一四、一七一六の一に所在する名古屋法務局新川出張所に赴き、西枇杷島町役場に帰る途中に惹起したものであり、まさに被告西枇杷島町の業務の執行につき原告に損害を負わせたものである。

(二) また、右事故は、被告下方英治の前方の安全を確認し衝突等の結果の発生を回避すべき義務を怠つた過失に基いて発生したものである。すなわち原告は前記道路の右側を歩行していたところ被告下方英治は後方より衝突したものである。

(三) よつて被告西枇杷島町は民法七一五条一項、被告下方英治は民法七〇九条による責任を負うものである。

3  (損害)

(一) 右事故による傷害のため、原告は昭和四三年六月二七日以降前記頭部外傷の後遺症により、てんかん様発作が頻発し、吐気嘔吐、頭痛、意識消失発作、下肢浮腫などが甚しく、言語障害をきたすばかりか、この発作がいつ発生するかわからないので、家人ともども人間らしい生活を送ることは到底不可能となつた。発作は一ケ月に一回以上は必ずおこり、多いときは五、六回を数えた(平均三、四回)。

そのため原告は、

昭和三八年九月二五日から同年一一月一九日まで名交病院

昭和四三年六月二八日から同年一〇月七日まで稲沢市民病院

昭和四四年三月三日から同年五月一日まで稲沢市民病院

昭和四四年七月七日から同年七月一四日まで稲沢市民病院

昭和四五年八月三一日から同年九月一一日まで松蔭病院

に各入院し(合計二五五日)、現在もなお通院治療中であるが、いつ治癒するかは全く不明の状態である。

現在までの通院実日数は合計三四三日である(稲沢市民病院二〇八日、松蔭病院一〇八日、中部労災病院一一日、名大病院九日、名交病院七日)。

(二) 原告を蒙つた損害は次のとおりである。

(1) 得べかりし利益の喪失

(a) 原告は事故前名古屋地下街に在る飲食店「味よし」の女店員として一ケ月金二万八、〇〇〇円の収入を得ていたものであるが、同事故以後はこれを全部失うに至つた(昭和四三年六月二七日までは事故による傷害のため稼働できず、同日初めててんかんの発作をみてから、いつまたてんかんの発作がおこるか分らないので勤めに出ることは到底不可能であつた。)。

そのため、現在までに一一六ケ月分の得べかりし利益を失い、これを計算すれば金三二四万円となる。

(b) ところで、原告の年令(当時四四才)から考えても、なお二三・三九年の余命のあるところ、原告は少くとも六〇才までは「味よし」の女店員として勤務し前記程度の収入を得るはずであつた。

従つて、本件の事故により原告が失つた将来の得べかりし利益は一ケ月金二万八、〇〇〇円宛、年三三万六、〇〇〇円であり、これから先の分を現在一時に請求するものとしての中間利息を控除すれば金一四九万四、七四三円となる。

(2) 治療費

(a) 原告は、前記のとおり、入院と通院をくり返しており、現在までに金七六万五、二〇四円の治療費を支出した。

(b) また原告は病院に入院中、日常雑費として金四万六、六〇〇円(一日二〇〇円の割合)を支出した。

(c) 原告は現在なお治療中であり、今後も治療の必要があるため、将来の治療費として最低金二〇万円はかかる見込である。

(3) 慰藉料

原告は事故当時四四才の女性であつたが、本件事故によりその身にも心にも重大な傷害を受けた。衝突によるシヨツクから人事不省となり、その後遺症のため現在では毎日毎日を、いつ発生するかわからないてんかんの発作に不安と怖れを抱いて暮さねばならず、今後再び以前のような健康な体にもどることは不可能となり、深い精神的な痛手を蒙つた。

このように原告の蒙つた精神的苦痛は極めて大きく、その慰藉料は金一五〇万円を下らず、かつまた、後遺症による慰藉料は金三〇〇万円を下らないものである。最低に見積つてもその額は合計金四五〇万円となる。

4  よつて、原告は被告らに対し、右損害金九九九万四、五〇八円と、その内金三四七万六、七三〇円については昭和四五年三月一二日以降、内金六五一万七、七七八円については昭和四八年六月二〇日以降、各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、その主張の事故が発生したことは認める。受傷の部位程度は不知。

2  同2の(一)(二)の事実中、被告下方英治が当時被告西枇杷島町の税務課に勤務していたものであること、および本件事故が業務執行中に起つたものであることは認めるが、その余は争う。

3  同3の事実中、事故当日傷(内容は不知)のあつたことは認めるが、その余は不知または争う。

すなわち、原告が訴えている自覚症状である外傷性てんかんなる後遺症は、本件事故と因果関係がない。

仮に、外傷性てんかん症状が原告にあり、かつ、これが本件事故と因果関係があるとしても、毎日常時この症状が継続するものではないので、原告の逸失利益は、その計算基準が不確実であるため算定不能である。したがつてこのような場合は、仮に、外傷性てんかんの現存が認められるとしても算出困難を理由に損害賠償は認められない。

三  抗弁

1  (示談の成立)

本件事故に関し、原告の代理人尾平鐘太郎、被告らの代理人加藤正一の間で、後遺症による損害等すべてを含めて、昭和三八年一二月一六日示談が成立し、被告らは同月一八日金一五万円を原告に支払つてすべて解決ずみである。

2  (時効消滅)

本件事故は、昭和三八年九月一九日に発生したものであり、原告の本件訴訟の提起は同四五年三月五日であつて、本件事故日より三年以上も経過し、原告の損害賠償請求権については、消滅時効が完成しているので、被告らは本訴において右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実中、原告が金一五万円を受領したことは認める。

2  同2の事実は認めるが、原告が後遺症を認識したのは昭和四三年六月二八日であり、本訴はそれ以降の損害を請求するものであるから時効は完成していない。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告が、昭和三八年九月一九日午後三時三〇分頃、愛知県西春日井郡西枇杷島町芳野町三丁目の一先路上において、被告下方英治の運転する第二種原動機付自転車(西枇杷島町〇一二九号、以下被告車という)に衝突され転倒したこと、被告下方英治は当時被告西枇杷島町(以下被告町という)の税務課に勤務していたものであること、本件事故は被告下方英治の被告町の業務の執行中に起つたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故の原因について判断する。

前記争いのない事実および〔証拠略〕を総合すれば、次の事実が認められる。

本件事故現場は、愛知県西春日井郡西枇杷島町芳野町三丁目四四番地の一先の南北に通じる幅員約四メートルの堤防上の道路上で、当時アスフアルト舗装がなされていた。

被告下方英治は昭和三八年九月一九日午後三時三〇分頃、本件事故現場道路の左側を被告車を運転して、時速約二五キロメートルで南進中、原告が子供を連れて道路左側を同方向に歩いているのを数十メートル前方に発見し、同人等の右側近を通過しようとしたところ、原告らとの接触する危険を感じ、急遽右に転把しようとしたが及ばず、被告車の左ハンドルを原告の右腰部に衝突させ、原告をその場に転倒させた。そのため原告は頭部を路面に打ちつけられ頭部挫傷の傷害を負つたほか左下肢、臀部、左下腿挫傷の傷害を負つた。右認定に反する〔証拠略〕の各一部は信用しない。

右認定の事実から考えれば、被告下方は幅員約四メートルの歩車道の区別のない道路を、子供を連れて道路左側を同方向に向い歩行している原告らを発見したのであるから、随時停車しうるよう減速し、あるいは警笛を吹鳴して自車の接近を同人らに知らせ、あるいは歩行者から相当の距離間隔を保つて追い越す等事故の発生を未然に防止する注意義務があるのに、これを怠り、漫然、時速約二五キロメートルで同人らの側近を通過しようとした点に過失があつたものというべく、被告下方英治が当時被告町の税務課に勤務していたものであり、被告町の業務執行中に本件事故を惹き起したものであることは前示のとおりであるから、被告下方は民法七〇九条により、被告町は同法七一五条により、それぞれ本件事故により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

三  そこで被告は、本件事故に関しすでに示談が成立している旨主張するので、この点につき判断する。

原告が被告らから金一五万円を受領したことは当事者間に争いがなく、本件事故に関して、原告の代理人尾平鐘太郎、被告らの代理人加藤正一の間で、昭和三八年一二月一六日、内容はともかく、示談が成立したことは原告が明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

ところで、交通事故による全損害を正確に把握し難い状況のもとにおいて、早急に、小額の賠償金をもつて示談がなされた場合においては、右示談によつて被害者が放棄した損害賠償請求権の範囲は、示談当時予想されていた損害に限られるものと解すべきであつて、その当時予想できなかつた後遺障害による損害については、被害者は、後日その損害の賠償を請求することができると解するのが相当である。

〔証拠略〕によれば、昭和三八年一一月二九日、原告は本件事故による損害賠償として、慰藉料金三〇万円、休業補償(一日六〇〇円の割合で一ケ月二五日とし五ケ月分)金七万五、〇〇〇円、補助費(事故後必要とした経費、一ケ月一万円の割合で三ケ月分)金三万円の合計金四〇万円五、〇〇〇円を請求した結果前記認定のように同年一二月一六日に示談が成立し、同月一八日金一五万円の授受が行われたことが判かる。右の経緯から考えると、右示談により原告が放棄した損害賠償請求権の範囲は、後記認定の本件後遺症の発生前の本件事故による損害に限られるものと解すべきである。

四  さらに被告らは、消滅時効が完成していると主張するのでこの点について判断する。

本訴提起が本件事故日より三年を経過していることは、当事者間に争いがない。

しかしながら不法行為による受傷時より相当期間経過後に予め予想することの困難な後遺症が現われ、そのために受傷当時における治療の外に後日更めて治療をする必要が生じた場合には、後日その治療を受けるまでは、右治療に要した費用、治療のための休業補償、後遺症による逸失利益等の損害について民法七二四条の消滅時効は進行しないと解するのが相当である。

後記認定のように、原告は、昭和四三年六月二七日に至り初めて本件事故による後遺症である外傷性てんかんを認識したのであり、本訴が昭和四五年三月五日に提起されたものであることは記録上明らかであるから、右後遺症による昭和四三年六月二七日以降の原告の損害について、民法七二四条の消滅時効は完成していないものというべく、この点についての被告らの主張は理由がない。

五  損害

1  (治療経過ならびに後遺症)

〔証拠略〕を総合すれば次の事実が認められる。

原告は、前記の傷害を負い、昭和三八年九月一九日山田病院に通院し、同年九月二〇日から同年九月二五日まで名交病院に通院し、同日から同年一一月一九日まで同病院に入院、軽快し、その後見たてを変えるため転医して、同日から同年一一月二八日まで尾陽病院に入院した。その間てんかんの症状はみられなかつた。右認定に反する〔証拠略〕の一部は信用しない。

その後昭和四三年六月二七日に至り、突然てんかん様発作にみまわれ、複視、嘔吐、吐気が著しいため、昭和四三年六月二八日から同年一〇月七日まで稲沢市民病院に、昭和四四年三月三日から同年五月一日まで同病院に、昭和四四年七月七日から同年七月一四日まで同病院に、昭和四五年八月三一日から同年九月一一日まで松蔭病院に各入院(合計一七八日)し、昭和四三年一〇月八日から同四七年一〇月三日まで稲沢市民病院に(実日数一五三日)、昭和四三年一〇月二一日から同四四年三月二日まで中部労災病院に(実日数一一日)、昭和四四年五月一六日から同四七年一〇月一六日まで松蔭病院に(実日数九八日)、昭和四四年七月一四日から同四六年一月二八日まで名大病院および名大分院に(実日数九日)各通院し(実日数合計二七一日)、井村和夫から八回灸の治療を受けた。

そして、昭和四七年一〇月一七日、松蔭病院の安藤文夫医師から、後遺症内容として、抗てんかん剤投与にもかかわらずなおてんかん発作があり、常時頭痛、めまい、自律神経不安定症状等があり、右症状は、労働者災害補償保険の七級四号に該当する旨の診断を受けた。

よつて、原告の昭和四三年六月二七日以降のてんかん様症状と、本件交通事故との因果関係について按ずるに、

前掲各証拠によれば、原告のてんかん様症状は、稲沢市民病院の原彦夫医師、松蔭病院の安藤文夫医師、名大脳外科のいずれによつても外傷性てんかんと診断されていること、〔証拠略〕、鑑定の結果のいずれからも、外傷性のてんかんであると診断した経緯が首肯し得ること、そして、脳波検査の結果も外傷性てんかんならびに本件交通事故時の原告の頭部外傷を裏付けるような病変がみられること、後記の事実以外に、原告が頭部を打つた事実を認めるに足る証拠が無いこと等を総合すると、右原告の外傷性てんかん(以下本件後遺症という)は、本件交通事故時に、原告が頭部を路面に打ちつけたための外傷によるものと断ぜざるを得ない。

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故の後である昭和三八年一〇月二一日、入院中の名交病院においてベツトの鉄枠に頭を打付けた事実が窺われるけれども、右事実によつては前記認定の本件事故と本件後遺症との因果関係の存在について影響を及ぼすものとは認められないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、〔証拠略〕によれば、原告のてんかん発作は、少なくとも一ケ月に二、三回程度と認められるので本件後遺症の等級は自動車損害賠償保障法施行令別表七級四号に相当するものと認められる。

そうすると、被告らは原告に対し、本件後遺症による原告の後記損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  (治療費)

〔証拠略〕によれば、原告は治療費として、稲沢市民病院に対し金六万九、八八八円を、松蔭病院に対し金二万六、三八一円を、中部労災病院に対し金五、三九三円を、名大病院および名大分院に対し金八〇〇円を、マツサージ師井村和夫に対し金六、五〇〇円を各支払つたことが認められる。右治療費のうち、医師の指示に基く治療であることを認める証拠のない井村和夫に対する分を除き合計金一〇万二、四六二円を、本件後遺症による原告の相当損害と認める。

3  (将来の治療費)

本件後遺症の内容の診断を受けた昭和四七年一〇月一七日当時において、原告は五三才であり、その平均余命は二五・九八年であるところ、前記認定の本件後遺症の内容程度から、原告には将来の治療費として少なくとも、金二〇万円を要するものと認められ、右金額を本件後遺症による損害と認める。

4  (入院雑費)

前記認定の入院期間一七八日について、一日二〇〇円の割合で合計金三万五六〇〇円を本件後遺症と相当因果関係のある入院雑費と認める。

5  (休業補償)

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時、名古屋市中村区笹島町名古屋地下街の「味よし」店に勤務し、月額金二万八、〇〇〇円の収入を得ていたこと、本件事故により休職の止むなきに至り、事情は明らかではないが、本件後遺症発生当時においても休業中であつたのであるが、昭和四三年六月二七日に本件後遺症が発生してからはその治療のため就業できず、前記認定の本件後遺症内容の診断時である昭和四七年一〇月一七日の後である同月二六日までの五二ケ月間については全く就業が不可能であつたと推認されるから、同期間中は全損として、一ケ月三万円の割合(昭和三八年当時原告は月額金二万八、〇〇〇円の収入を得ていたのであるから、昭和四三年当時には少なくとも月額金三万円の収入があつたものと認めるのが相当である。)で合計金一五六万円をもつて本件後遺症による休業損害と認める。

6  (後遺症による逸失利益)

前記認定の本件後遺症の内容、程度から、原告の労働能力喪失率は、本件後遺症内容の診断時である昭和四七年一〇月一七日当時の原告の年令五三才から六二才までの一〇年間を通じ、平均して五六%と認めるのが相当であるところ、前記認定の原告の年収金三六万円の一〇年分を本件後遺症発生時に一時に受領するものとして、ホフマン式計算方法により年五分の中間利息を控除すると(ホフマン係数一〇・四〇九四-三・五六四三=六・八四五一)金一三七万九、九七二円となる。

7  (慰藉料)

本件後遺症に対する治療経過、その内容程度、その他諸般の事情を考慮すると原告に対する慰藉料の額は金二二五万円が相当である。

8  以上合計すると金五五二万八、〇三四円となる。

六  結語

よつて、原告の被告らに対する本訴請求のうち、金五五二万八、〇三四円と、内金三四七万六、七三〇円に対する被告らについていずれも本訴状送達の日の後であることが記録上明らかな昭和四五年三月一二日から、内金二〇五万一、三〇四円に対する請求の趣旨拡張の申立書送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年六月二〇日から、各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸山武夫 木下順太郎 川端浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例